COLUMN

第2回 ネットワークを「紙」から考える

つい先頃、文字らしいものが彫り込まれた縄文式土器が発見されたようである。その文字が何を意味しているのか大変興味深い。当時の人たちが、どのような暮らしをしていたのか、どのような社会の仕組みにあったのか、たった1文字であっても、多くの想像の手がかりを与えてくれそうである。

一方で、商売上毎日のように扱っている電子化文書を考えてみる。今でも、私の机の前で、社員諸君が「これはEUCコードだ、シフトJISに変換しないと読めない。」などと騒いでいる。また、一方でWEBで情報提供するに際しても、やれエクスプローラだの、ナビゲータだの、MACだのWindowsだの、3.0以上だの4.0だの、クライアントをさまざまに想定して準備しておかないと、ひどい目にあってしまう。もともと、どのような情報でも誰でも見えることを理想にWEBの機構は広まったはずであるにもかかわらず、普及し始めてから2 ∼ 3年程の間に、何回ブラウザを変えてきたことであろう。変えなければ、WEBの情報が見えなくなってしまうのが今日の実状である。それが、当たり前のように受け容れられている。

ちょっと待てよ。今日の膨大な情報があるとされているWEBの情報が、先の縄文式土器のように、2000年近くも経ってから、我々の遠い子孫が発見してくれるだろうか?シフトJISは、2000年後に使われているだろうか?HTML 4.0を表示できるブラウザが引き継がれているだろうか?残念ながら、この調子では10年先すら危なそうだ。
どうも我々は、今日明日の便利さだけを追っかけていないだろうか?前回も触れたように、「情報」は文化と文明を表す。情報に携わる人間としては目前の便利さを追求することに加えて、文化や文明を子々孫々に継承していくことにも責任があるのではないだろうか?

幸にして、紙に書かれた情報は、紙が保管されている限り、読むことができる。皆さんは、畳替えの時に下敷きにされていたセピア色に変色した新聞を読みふけったことはないだろうか?一方、やれPDFだ、XMLだ、JPEGだのの電子化された情報は、このようなチャンスを与えてはくれない。その情報を読むためのハードウエアやソフトウエアは、毎日のように変化し、情報を記述する形式はどんどん新しくなっている。

しばらく前(1989年)に、WAIS(ワイド・エリア・情報サーバ)と言うプロジェクトがあったことを記憶している人は、相当マニアックな人であろう。WEBが普及する以前に、ネットワークの情報ディレクトリサービスとして利用されていた仕組みである。その中心人物としてBrewster Kahle氏がいた。WAISプロジェクト(シンキング・マシン社やピートマーウィック社などの4社共同プロジェクトであったと記憶している)は、彼によって引き継がれ1992年に、WAIS社の社長に就任しWAISの普及にあたっていた。しかし、例によって栄枯盛衰が激しい米国ベンチャービジネスの常として、彼の活動が聞こえなくなった時期があった。(誤解のないように付け加えておくが、WAISシステムそのものはいまだに健在である。)

昨年、米国からの帰りの機内で、Scientific Americanと言う雑誌を拾い読みしていたら偶然彼の論文を見つけた。いわく「Preserving The Internet」である。すなわち「インターネットを保存しましょう。」と言う趣旨の論文である。その論文によればクリントンの大統領選挙に使ったWEBサイトがスミソニアン博物館に保管されたようである。今や、WEB情報も博物の一つになっている事実を物語るものであろう。一方で、テキサス州選出の上院議員であるフィル・グラム氏のキャンペーンに使われたWEBサイトは、もはやインターネットから消失しているそうである。

B.Kahle氏は、いつの間にかインターネット上に提供されている行政情報やビジネス情報を、歴史的な資料として保存していく運動を展開し始めたようである。まさしく、私の懸念している情報の継承を問題意識として捉え、実際に活動を開始している点は、さすがに敬服するばかりである。彼の論文によるまでもなく、今でもサーチエンジンで検索されたWEBサイトが、しばしば既に消失しているのは、私自身よく経験するところである。WEBの便利さは、我々が予想もしていなかった新しいさまざまな機構をもたらしてくれてはいるが、反面においてその便利さゆえに見失っていることが他にもありそうである。

執筆 菊田昌弘(前代表取締役)