第15回 もう一つのスプートニク・ショック
前回のコラムで、1957年に米国が当時のソビエトに人工衛星の打ち上げで先をこされたこと、すなわちスプートニクショックが教育界に対する批判を招き、後の教育改革に結びついたことを紹介させて戴いた。スプートニクは、教育改革に限らず、米国では、さまざまな領域に影響を与えることに結びついたようである。NASAのホームページを見ると、「スプートニクはあたかも真珠湾攻撃のように、米国世論に影響した」と書かれている。複雑な思いである。
スプートニクは、米国の軍事・科学技術に対するプライドをうち砕き、科学技術振興策の必要性を痛感させることとなった。具体的には、航空宇宙局(NASA)の設立と、1961年のアポロ計画へと展開され、さらにはインターネットの母体であるARPANET(1968年)を構築する背景ともなっている。
これらの施策の一環に位置づけられるのがデータベースサービスである。すなわち、科学技術振興策にそって展開される数々の技術資料や論文を、より効率よく役立て、利用できるように考え出されたのが、データベースサービスであり、これらの科学技術情報を、民間に技術移転することにより構築されたのが、商用データベースのそもそもとされる。
その意味では、私がこだわっている、文書の電子化もスプートニクは、大きなエポックとして捉えられる。
日本においては、1957年に設立された日本科学技術情報センターが1976年に情報検索サービスを開始し、1978年に公衆回線でのオンラインによる科学技術文献のリファレンスデータのサービスを開始するに至っている。
これらのデータベースサービスは、ネットワークを利用した「情報」提供の先駆けとして位置づけることができよう。実際に、データベースサービスは、次第に利用者の枠を拡大し、現在では、世界全体で250億ドルの市場と推計されている。
また、爆発的とも言えるインターネットの拡大は、データベースサービス市場を劇的に拡大しても不思議ではなさそうだ。しかし、インターネットの普及と商用データベースの市場拡大は、必ずしも同期していないのが実態のようでもある。
前回の教育の課題同様、商用データベースサービスも、今日、スプートニクショックに匹敵する転換期を迎えているように感じるところである。いうまでもなく、Webがもたらした転機である。
商用データベースサービスは、利用者が情報を検索し、取得することに対するサービス料金をもって経営が成立するものである。一方、爆発的に増加しているWebも、利用者に対してさまざまな情報を提供している。しかもその殆どはフリー(タダ)で提供されている。今日では、Web上での情報提供と商用データベースとの境界が刻々と薄れつつある。
むしろ、商用データベースが、上述のリファレンスデータ、すなわち文献・記事に関するタイトルや著者などの書誌的情報の検索サービスで文字情報を主体としたサービスに限定されるのに対し、Webでは、論文や記事の全文(フルテキスト)が掲載され、図や表、はては動画像や音声に至るまで、いわゆるマルチメディアを自在に提供し、しかもハイパーリンクのもとに、関連する情報を容易に入手できる機構にある。これらの点は、商用データベースよりも優っているとも言える。
また商用データベースは、情報を集中的にデータベース上に統制して管理する機構にあるのに比較し、Webは、全世界に438万を超えるとされるサーバそれぞれが、個別に、かつ相互に連携しあって情報提供する構造にある。また、何十も出現したサーチエンジンは、利用者に対して全世界のWebサイトを、あたかも一つのデータベースのように検索することを可能としている。しかもタダで!
Webの登場は皮肉にも、従来からの情報機構に思わぬ障壁を出現させたかのように見える。便利で、しかもタダで情報が取得できるようになった現在、商用データベースがどのようにして存在をアピールし事業拡大していけるか?また、「情報」の経済的価値・価格はどうあるべきか?真剣に考えなければならない時代を迎えたようでもある。
執筆 菊田昌弘(前代表取締役)