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第17回 「ネットワークの上に発生した原始共産主義」

ネットワーク上のコンテンツが、フリー(タダ)であることの不思議さは、前回記述させて戴いた。タダであることは利用者にとってありがたいし、まただれでも自由に意見を発信できる機構が、これまでの大資本中心の社会機構を大きく市民・生活者にパラダイムシフトするという、パラダイス論もそれなりに理解できる。また、私のように少々閾値を超えた身体(すなわち、かなり太っている)を持つ人間は、これまでマスマーケティング理論では棄却されていた市場(すなわち、体に合うサイズの既製服が売られていなかった)であり、結構金がかかっていたのが、ワン・トゥ・ワン マーケットにより、体に合うサイズが容易に入手できる機構が整備されるのは、大変都合がよい。

このように考えれば、パブリックなネットワークは市民の復権であり、大規模資本論理の終焉としての契機をもたらすものであると捉えるのも自然だ。ただし、いささか腑に落ちないところも発生する。

従来のマス・マーケティングにおいては、製造業者があり、販社があり、小売り企業があり、何段階もの商品チェック機構が機能していた。これらの製造・流通機構は、競争原理のもとに、より品質の良い廉価な商品を提供することに努力することが、企業の発展に結びつけることができた。最終的に消費者は、店頭に並べられた商品を比較し、値札を見て購入意志を決めていた。

一方、ネットワーク上の情報流通は製造者が直接、利用者に情報を提供するものでありこのような流通機構が存在しない。 誰でも、情報提供が可能であり、タダで情報入手ができる機構にある。一方において、流通機構が果たしてきた商品仕入れに対するチェック機構は機能していないし、また(タダである故に)品質の良い商品(情報)も品質の悪い商品(情報)も均等に扱われる。

このような機構のもとでは、情報に対する責任を曖昧にする。勝手気ままに情報を流すことも自由であり、情報の品位や品質などは提供者の良識にすべて委ねられる。一方、情報利用者側からすれば、入手した情報が、正しいものか価値あるものかの判断能力が必要とされることとなる。米国で検討されていた「情報品位法」なるものは、これらを背景に捉えたものであろう。

見方を変えれば、ネットワークは最も原始的な経済機構であるバザーの物々交換そのものとも考えられるし、ネットワーク上で各々の参加者が情報提供し、情報利用を行う機構と捉えれば原始共産主義経済機構にあるとも考えることができる。

過日、情報知識学会において学術情報センターの根岸教授が、フリーソフトウエアの機構を称して「原始共産主義」にあると喝破しておられた。情報技術の世界に急速に出現したフリーソフトウエア整備のイニシアティブは、明らかに従来からの市場メカニズムの埒外にあり、利用者が提供者でもあるフリーソフトウエアの機構は確かに原始共産社会にある。

インターナショナル・データ(IDC)によるとLinuxのサーバOS出荷数に占める割合は、前年の6.8%から17.2%に、倍以上の拡大を見せている。現在では、インターネット・サイトで利用されているホストOSにおいて,LinuxはSolarisやWindows系を遙かに超え、30%以上に達しているとされる(http://leb.net/hzo.ioscount/)。

良い品質のものを製造し、提供することで企業の成長を達成していくと言う従来の経済構造にある美徳(反面において資本論理の傲慢さ)は、フリーソフトウエアの世界では成立しない。一方で、良い品質のものが、市場のフィルタリングのなかで発展していくメカニズムも成立しない。頼りになるのは、ネットワーク市民の良識と見識であるというオプティミズムで、ネットワーク経済が健全に成長していくのかいささか気がかりでもある。



執筆  菊田昌弘(前代表取締役)



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