第20回 「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」− データと情報、知識と知恵 −
立秋も過ぎたと言うのに、今年は妙に残暑が厳しく思える。自宅にクーラも付けずにやせ我慢している中年太りには、いささかこたえる暑さである。
俳聖松尾芭蕉とて同様らしく、奥の細道、金沢から小松への道中(今頃の季節であろう)この句を詠んでいる。
私は、俳句などとんと縁がない無粋の輩であるが、この句から残暑の強烈な日差しを感じ取ることができる。
最近、データウエアハウスやナレッジマネジメントなどの言葉を良く聞く。また、EIP(Enterprise Information Portal)と言う用語も定着しつつあるようだ。いずれも、ネットワークという基盤を得て、組織や企業の中に蓄積された情報や知恵を、容易にアクセス可能とし組織活動に役立てるための枠組みとして理解できよう。
その機構の中核には、データ/情報の蓄積機構と、情報を用途に応じてさまざまに取り出すことができる検索機構が位置づけられることは疑いない。これらの機構の柔軟な組み合わせは、組織における活発な知識/知恵の交換と共有を実現し、ネットワーク時代にふさわしい新しい企業活動をもたらすものと期待される。
XMLの出現により、これまでは定型化された伝票や台帳としてのデータを主体として構成されてきた企業の情報蓄積が、無定型なオフィスドキュメントまで含めて蓄積することが可能とされつつあり、ネットワークを介した情報のアクセスがさまざまに可能となってきつつある。ソフトウエアやハードウエアを特定しない文書記述標準としてのXMLは、EIPにおいても重要な働きをすることが想定される。
ただし、この目標を実現するうえでの今日の情報技術は、未だ充分とは言い難い。
先の芭蕉の句を見て戴きたい。今日の情報検索においては、蓄積された文字列オブジェクトを手がかりにさまざまに検索することは可能である。従って、「あかあかと」も「あきの風」も検索語として指定された場合、この句を導くことができよう。また「あきの風」を季語として検索することも季語辞書を整備すれば可能であろう。しかし、道中強烈な残暑を浴びながら旅を続ける芭蕉の心境は、この句のそれぞれの単語が物語るのではなく、語の組み合わせと配置(座)によって始めて読者に伝わるものである。逆に言えば、「残暑にあえぐ旅人」という肝心なこの句のコンテキストは、句中の文字列をいくら検索しても読みとることはできない。
と言うことは、今日さまざまに工夫されている検索エンジンをもってしても、文字列だけでは俳句の検索が不可能であることを意味する。俳句に限らず「情報」とは、すべからく同様の性質を持つ。表現上用いられた文字や単語だけ(すなわち、字ヅラだけ)では、著者の意図するところを伝えることが困難であり、結果、文字や単語を手がかりにした検索システムは情報共有機構の実現に限界があると言えよう。
データは情報を構成する重要な要素である。情報は知識を形成する。知識は知恵に成長する。情報の共有化の期待するところは、最終的には組織の知恵を関係者間で共有することにあろう。しかしながら、今日の検索システムの主眼は情報検索と言うよりも「データ検索」にある。いや、データ(または文字/数値)しか検索できないのが実情である。
現在、コンテキスト(文脈/背景)や印象を手がかりとする検索機構もさまざまに検討されつつあるが、知識や知恵の共有化を実現するためには、まだまだ多くの努力を必要としているようである。
執筆 菊田昌弘(前代表取締役)