第25回 − 情報のなかに忘れ去られた知識 −
いうまでもなく、ITはやりの時代である。ネットワーク関連ビジネスが続々と公開企業の仲間入りをし、また大企業も続々とネットワークに対応した新ビジネスを打ち出している。古くから「文書電子化」にこだわってきた私自身このような活発な状況は大変嬉しくも思えるし、翻って相変わらず辛気臭く「助詞がどうした」「助動詞がどうだ」などと地味この上ない仕事に埋没している自身の状況にいささか疑問も持つ。
「文書電子化」の目指すところを単純に言えば、ネットワークを介して広く情報を共有できることにあり、ナサニエル・ホーソンが思い描いた「今や地球は一瞬にして振動する巨大な丸い知性と化した。」と言う理想を実現することにある。
ただし、この理想を実現することがいかに困難なことであるか、ホーソンの時代より既に150年も経過していることを見ても明らかである。
WEBの実現によって世界中の情報を自分のパソコンから入手できるようになったし、XMLの登場は、ネットワークに接続されたコンピュータ同士が同じ言葉で会話できるように近づけている。
ただし、私の頭の中では未だに「文書とは何か?」が定かとなっていない。
もちろん文書とは、ある論理や事実にもとづいて知見や意見を表明したものであり、いわば「情報」を表現したオブジェクトであろう。XMLの標準をまとめたTimBray氏は、XMLに取りかかる以前より全てのスライドの中で「テキストこそ知識の表現である」旨のアイコンを埋めていた。氏のその後のXMLへの取り組みを見るとその意図するところが理解できる。ちょうどWEBがセンセーショナルに登場した時、たまたま彼を日本に招く機会があり、このスライドを関係者に見せたところさまざまな反発を招いたことを思い起こす。いわく「WEBにより、イメージや音声まで含めて情報を伝えることが可能となったのに、いまさらテキスト(文字列)に注目するのは時代遅れだ。」との指摘である。同席していたTedNelson先生のハイパーテキストの説明があった直後でもあったため、彼の言葉は余計に際だったのかも知れない。また、彼は昔「詩人を夢見ていた」背景がそのアイコンに表現されているのかも知れない。
文書に表現される「情報」と言う言葉は、その昔森鴎外がドイツ語のナハリヒトを訳した語であるとも聞く。無論、われわれは生まれてこの方情報や知識を得る方法として「紙媒体」に表現された「ドキュメント」をイメージしてしまう。実際、このすり込み現象がやっかいに思われる。
紙媒体の上では、情報を表現する「体裁」も、章・節・項に展開される「構造」も、「内容」とともに一体として固定されている。単純に「文書電子化」と言えば、この「紙媒体」上に表現されたオブジェクトをそのまま画像として取り込めば済むものとも言える。一方、情報は受け手側によってその価値や見方が異なってくる事実に注目する必要がある。先のホーソンの言葉は「WEB」時代にこそふさわしい言葉のように思われるが、実際、彼が150年前にWEBを想定していたとは言い難い。今日のWEBの普及によって改めて彼の言葉の価値を、受け手であるわれわれが判断しているに過ぎない。森鴎外の翻訳語をわれわれがわれわれの解釈で利用しているに過ぎない。
とすると、情報の交換・共有手段である「文書電子化」においては、先のように「紙媒体」を版面そのままに伝達することでは達成されないであろう。情報の受け手が、さまざまに情報を利用し、解釈し、その上で新しい情報(知識)を再生産していける構造を実現することにこそ目標を置くべきでもあろう。詩人のT.S. Eliotは、1934年に発表した「Choruses from "The Rock"」の中で、
Where is the Life we have lost in living?
Where is the wisdom we have lost in knowledge?
Where is the knowledge we have lost in information?
と詩っている。猪瀬 博先生は、「Information Technology and Civilization」の中で、この詩に
Where is the information we have lost in data?
と付け加えておられる。
悲しいかな何年かかっても私自身dataは表現できても、informationを表現する方法を見いだせないでいるし、いわんやwisdomなどその切り口さえも見いだせない。付記:猪瀬博先生のこの言葉は以前NHKの人間大学で講義をなさった時に、鋭く私の心に残っていたのであるが、Eliotの名前だけは覚えていても出典を確認することができずに悶々としていた。このほど文部省情報学研究所の安達淳先生からそのコピーとともにEliotの詩を戴くことができ永年のつかえがおりた気がしている。ここに深謝する次第である。また、その直前の行に
Knowledge of words, and ignorance of the Word.
All our knowledge brings us nearer to our ignorance,
All our ignorance brings us nearer to death,
But nearness to death no nearer to God.
と記述されていることも確認でき、Synergy Incubateという大層な名前を冠した零細企業を営む私にとって、ガツンと頭を殴られた思いがしている。
執筆 菊田昌弘(前代表取締役)