第26回 − 電子マネーとドキュメント −
以前にも触れたが、われわれのまわりにもっとも身近(個人差が著しいが)なドキュメントといえば、紙幣であろう。私の持つ(数少ない)一万円札には、日本銀行券 壱万円 日本銀行と印刷されており、日銀総裁の印が記されている。われわれは、この印刷物(ドキュメント)を自分のものにするために日夜、あくせく働いているとも言える。
不確かな記憶で、間違っているかも知れないが、この壱万円と記載されている印刷物の製造原価は20円であるとのニューズを聞いた記憶がある。すなわち20円かけて印刷されたドキュメントを、われわれは壱万円の価値として認識している訳である。金貨とことなり、紙幣自体がその価値を持つ訳ではなく、「壱万円」の経済価値を行使する権限を持っていることを日本銀行が証明した「証明書」が私の今眺めている「壱万円札」の意味するところであろう。
皆さんのお手元にドル紙幣があったら、眺めて戴きたい。「THIS NOTE IS LEGAL TENDER FOR ALL DEBTS, PUBLIC AND PRIVATE」と言う文言が読みとられよう。すなわち、ドル紙幣には、「この証書(NOTE)は、公的・私的に関わらず全ての負債の決済に有効である」と明記されており、財務長官のロバート・ルービン氏が裏書きしている。ある見方をすれば、財務長官が発行した小切手として見ることができる。
もちろん、これらの紙幣(証明書)は、お互いにその意味を理解できる人同士で有効であり、世界の秘境の、近代文化に接することもない人たちに壱万円札やドル札の束をプレゼントしたところで、たき付けの代わり以外に何の役にも立たない代物であろう。
すなわち、紙幣は、価値観を共有するコミュニティにおいて通用する、その所有者の「決済能力」の証明に用いられるドキュメントである。
ここにドキュメントの一つの特性を見る思いがする。言うまでもなく、その紙幣(証明書)が通用するのは、支払った人、受領した人に共通に認識が成立する必要がある。
言葉を換えれば、支払った人、受け取った人が共通に認識できる価値評価(または価値の証明書)であれば、紙幣として成立するものであり、これまで日銀などの国家中央銀行が管理発行するとされてきた紙幣発行の常識に疑いが生じる。
特にさまざまな実験が進められている電子マネーとは、ネットワークの上で通用するための価値評価証明であると大胆に仮定をすれば、ネットワーク経済の固有の特性である必然的なグローバライゼーションとの一致が求められ、「国家」と言う通貨発行の枠組みがますます疑わしくなる。
実際米国においては、電子マネーの発行を金融機関に限定せず、民間事業者も参入可能とするとの方向のようであるし、日本においても「電子マネー及び電子決済の環境整備に向けた懇談会報告書(大蔵省)」において、利用者保護や決済システムの安定性を確保するための必要最小限の規制体系にとどめ、大幅な参入規制を避けるという方針が記されている。
J. Matonis氏は「Digital Cash and Monetary Freedom」と題する論文の中で、電子マネーに関するキーエレメントを挙げている。10のキーエレメントは以下である。
・安全性(secure) | 改竄したり、複製したりできないこと |
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・匿名性(Anonymous) | だれでも等しく使えること |
・可搬性(Portable) | 物理的な独立性(媒体を問わない) |
・無限有効性(Infinite duration) | 有効期限に定めがない |
・双方向性(Two-way) | 受け取ったり、渡したりできる |
・オフラインでの利用 | ネットワークビジネスに限定しない |
・分割可能性(Divisible) | 100円を一回でも、50円を2回としても使える |
・広汎な信用(Wide acceptability) | 上記のように、受け取った人も支払った人も共通に信頼している。 |
・操作容易性(User-friendly) | 簡単な操作で使うことができる。 |
・自由価値単位(Unit-of-value freedom) | 行政体制などに依存しない |
最後の「自由価値単位」が注目される。すなわち従来の常識とされてきた中央銀行による紙幣発行とは異なる発行主体によるとする点である。(ハイエク教授が、1970年代に発表した「非政治的価値単位」(Non-political Unit-of-value)を踏襲する概念とも言えよう。)
一方、中央銀行以外による紙幣発行としては、既に地域限定通貨が数多く実施されている。有名なところでは、ニューヨーク州のIthacaという町のIthaca Hour(イサカ アワー)があり1991年から運営されているようである。Wir(スイス)やDマルク(ドイツ)とともにNHKの番組で紹介されていたため、ご存知の方も多いであろう。イサカアワーの意図するところは「他の地域の資本に金利と言う形で吸い取られることなく、地域経済の活性化に役立たせる」点に要約される。人間の1時間あたりの労働対価を通貨の基礎としているようであり、そのネーミングからもマルクス流の「労働価値」説の影響を色濃く感じる。
ここにはヘッジファンドなど、通貨価値の変動そのものを利益の源泉とする動きは発生し得ない。
日本でも「近江」と呼ばれる地域通貨が出現したとも聞く。
ネットワークは、グローバルであると言う性格に加えて、地域を超えたコミュニティを創生する動きを見せている。ネットワーク上に構築されたコミュニティのみで通用する通貨が出現しても不思議ではないし、そのような通貨こそ電子マネーと呼ぶのではないかと考えるところである。
執筆 菊田昌弘(前代表取締役)