COLUMN

第33回 オープン、標準化、囲い込み、覇権主義、パワーゲーム

XMLに関わっていると、さまざまなシンポジウムや、コンファレンスまたセミナーなどにお声がかかる。私のように、名もない零細企業の経営者にとって、多少なりとも皆様に直接お目にかかり、弊社をご承知いただく上では、大変ありがたい機会と思っている。

しかし、このところこの種の機会が妙に多発し、多少なりとも面食らうところである。

特に、XML関係では、いわゆるB2Bコマースの展開にむけて、XMLに着目し、その利用を図るための、さまざまなイベントが多い。大げさかもしれないがe-Japanとやらに多少でも貢献するべく、かつまたXMLの普及を促進するため、私にも多少なりとかかわりを持たせていただければと、それなりに情熱を燃やして参加させて戴いている。

XMLの「Self describing document(Tim Berners-Lee):ドキュメント自体が自分自身を表現する」としての機能は、まさしくネットワークを介して、新しいマーケットプレースを実現しようとするB2Bの仕組みには、うってつけである。

これまで、あらかじめ決められた取引相手と、決まった取引方法、手続きにあった商構造を、「自分自身を表現するドキュメント」がネットワーク上に存在していれば、取引情報の中味に関するあらかじめの相互調整などが必要なくなる。バイヤーはバイヤーとして、ベンダーはベンダーとして、自分のデータをネットワーク上に(商品なり、調達要求などを)置くだけですむこととなる。必要な人(またはプログラム)が、必要な時に、必要な情報を迅速に探し、これまで取引もなかった相手から注文が発生したり、またこれまでにない、良い商品・サービスを見出すことが可能となろう。自然と取引機会が拡大し、世界を市場としたビジネスが実現できるとの考え方もXMLならではのものであろう。

そのようなXMLの特質を背景として、グローバルマーケットプレースの構築の動きが盛んとなっており、私にもしばしばそのような取り組みに際してお声がけを戴くようにもなっている。そこには、当然のことながらXMLを基盤においた新たな標準つくりの話が話題の中心になっている。

しかし、最近、急激に気がかりになったことがある。XMLに関する標準化もさることながら、「標準化」メカニズムそのものが抱える問題である。

現在進展している標準化の動きには、明らかに国家対国家、巨大企業対巨大企業の覇権の思惑が潜んでいるようである。ISOなどの国際標準化推進機関にあっても、欧州連合対米国企業群の戦いにあって、(原語の意味での)ナイーブな日本は、政治的に利用されいる様子が、垣間見える?

この様子は、XMLに限ったものではなく、他の製造業などの産業でも同様と思われる。ネットワークという必然的にボーダレスな新しい社会は、日本と言う国土の中でものを考えていた枠組みを、否応なしに打ち崩し初めている。

標準化とは、国際化する産業競争の中で、大きな鍵となることは言うまでもない。単に優れた技術力だけを武器として戦うのでは、あまりに幼すぎる。

デファクト主体に進展しつつある標準化への趨勢は、標準化に対しても、これまでの国家機関同士の調整によるとされてきたメカニズムを、過去のものとしつつある。国際的に進められる、各種のコンソーシアムや、NPOでの積極的なロビーイングが、重要となっていると思われる。

すなわち、標準化とは、新しいゲームの作戦のひとつであり、この作戦の巧拙がゲームの行方を定めようとしている。しかるに、日本での標準化への取り組みは、正直なところ個人のボランティア、または関係企業からの職制上の派遣者であり、その努力や、活動に敬意を持ちつつも、戦略家、ロビーイストが参加しているとは理解しがたい。

標準化戦略が、日本の産業の今後を決するとの認識のもとに、標準にかかわる人々の、社会的地位の向上、収入面での保証などを幅広く再検討し、技術専門家に限らず、幅広い人材をもって、戦略的に標準化へ対応すべき時代を迎えているのではないだろうか?

執筆 菊田昌弘(前代表取締役)