COLUMN

第42回 「ムダ・ムリ・ムラのすすめ」(最終回)

この連載の機会を戴いてから、かれこれ4年近く経過した。その間に、XMLが登場し、ネットワークビジネスが隆盛期を迎え、さてまたIT不況へと突入するなど、まさしくドッグイヤーにふさわしい変化があった。

今、わが国では混迷を極める経済状況の中で、e-Japanのスローガンのもと、新しい社会経済構造を他国に先駆けて実現しようとする取り組みが進められている。

私は、本コラムにおいて一貫して「文書電子化」にまつわる問題点にこだわり、40回にも及ぼうとする連載を担当させて戴いてきた。

残念ながら、今最終稿を書くにあたっても、まだまだ語り尽くせない数多くの課題認識を抱えている状態にある。

情報は大量に利用可能となったとしても、以前に記述したように、「情報の中に忘れ去られし知恵いずこ」というのが、現在の実感である。

いずれにしても、これからは情報が電子化され、市民生活、商取引その他の社会的枠組みの中で大量に出回っていくことは疑いようのない趨勢であろう。

しかし、繰り返すように「文書の電子化」に関しては、単純に現在の「○○票」、「○○届」、「○○台帳」が電子ファイルに置き換わり、ブラウザで表示したり入力可能となるだけでは、ことは運ばない。紙と異なる電子というメディアは多くの便利をもたらすと同時に、これまでの常識や枠組みが通用できない制約ももたらす。例えば印鑑であり、例えば郵便制度である。これら、われわれが何気なく普段利用している仕組みが、電子ファイルには通用しない。このため、個人認証制度などが法整備も含めて急速に進められている。

これらの機構整備がない限り、e-Japanは実現しえないことは明らかであろう。

ただし、コンピュータを使えないお年よりもいたり、目の不自由な方もいる。これらの市民の方々にも、行政情報は等しく機会均等に伝えられなければならない。このため、すべてコンピューターネットワークで処理可能とすることは、机の上でのアイデアとしてあっても、一般にご利用いただけるようになるためには、数倍の努力でも足りないであろう。

かといって、やはり紙書面に軸足を置いた取り組みでは、紙媒体の電子化は可能であっても、電子ファイルを利用した枠組みとしては程遠い結末を迎えるのは明らかである。今日に生きるわれわれとしては、少しくも次の世代に向けて、その方向(または努力の軌跡)を残しておく義務を感じる。

残念ながら、私の生まれた年にはコンピュータはなかったし、ネットワークなど想像もできなかった。そのような世代が、次のネットワーク時代の枠組みを想定することには、ハンディキャップがある。というよりも、われわれには想像が不可能とした方が妥当であろう。

現在、電子時代の新しい枠組みについて、さまざまな検討が行われている。それが、未来の世代にそのまま利用してもらえるような理想系を描くことがわれわれの責任なのであろうか?

私は最終稿にあたって、あえて「ムダ・ムリ・ムラ」の必要性を挙げておきたい。今日生まれつつある新しい時代の萌芽を、さまざまに検討することよりも、むしろ多少試行錯誤があったとしても、「まずやってみる」ことが必要なのではないだろうか?

われわれが現在知り得る限りの知識と知恵が、将来とも常識でありつづけることは不自然である。むしろ、次世代に笑われることも覚悟して、多くの試行をおこない、その結果を次世代に渡すことがわれわれの責務といえないだろうか?

残念ながらの不況にあって、大胆な試行はゆるされる環境ではないことは百も承知で申し上げるのだが、むしろ多く試行を進めることが、今日の閉塞感を打破するきっかけとなるとも捉える。

あえてこの不況下にあるからこそ「ムダ・ムリ・ムラ」を恐れず、新しい取り組みに大胆にあたっていくことを提言して、筆を(ワープロを)置きたい。また読者の皆様に別な機会に議論を吹っかけたいものである。

執筆 菊田昌弘(前代表取締役)