電子文書のプラットホームの進展と課題
1.はじめに
私たちはパーソナル・コンピュータを日常的に使用して様々な作業を行うようになった。パーソナル・コンピュータはネットワークによるコンピュータの相互接続、特にインターネットによって私たち1人1人の能力を補強し引き出してくれる機械として機能するように思える。
インターネットは国境を越えて多くのコンピュータやサイトを接続し、今もその数を増やしている。接続数が増えるに従って、そこで共有可能な電子化された情報も増える。私たちはパーソナル・コンピュータやシステムの協力で、刻々と増加する情報にアクセスし、情報を選別し、更に情報を増やしている。もしインターネット上から入手可能な情報を全て納めた図書館や博物館があって、それを使って同じことをしようとしても不可能ではないだろうか。
電子化された文書をネットワーク上で生産し共有しているし、今後もそうし続けるであろう。電子化文書とそれを扱うシステム、そしてそれらを支えるネットワークについて現状を見直すことで、そこに抱える問題を明らかにし、今後どのように変わって行くべきかを考えてみたいと思う。
2.利用環境の変化
2.1.メメックスからパソコンへ
銀行の基幹業務などに使用される汎用の大型コンピュータは、複雑かつ大規模な数値計算や膨大な量のデータやファイル処理を実現するためのもので、高度な機能・性能・信頼性を持っている。その一方で高価であり、使用に際しては専門的な知識が必要とされるために、誰もが購入したり利用したりできるわけではない。大型コンピュータを操作するにはダム端末を用いるのが普通で、1台のコンピュータに対して複数の利用者が同一の環境で操作する。
それに対してパーソナル・コンピュータは「一般市民のための安くて使いやすいコンピュータ」として設計され開発された。大型コンピュータを使用する環境はコンピュータを中心に複数の利用者が結ばれているが、パソコンではパソコンと利用者が1対1になるのが基本である。それ故に、パソコンは私たちの道具となるものであり、安価であること、道具して便利で使いやすいこと求められる。使いやすさを追求すればマン・マシン・インターフェイスが重要になり、利用者それぞれについて個別な知識や能力に対応したものが提供されることで、私たちの能力をサポート・拡大してくれる道具となる。
コンピュータが開発されより以前にヴァーネヴァー・ブッシュは、『われわれが思考するがごとく』[1]と言う論文の中で、日々増加する情報とそれを蓄積する方法や必要な情報を取り出す装置の必要性を説き、「メメックス(memex)」と仮称した機械装置を想定した。メメックスは膨大な量の情報を論理的に、人の思考に沿って(われわれが思考するがごとく)整理し、索引やキーワードによってそれらを検索するために使用する。つまりメメックスは私たちが私たちの能力だけでは巧く、効率的に処理しきれない知的活動を補助する機械装置なのである。このような意味では現在私たちが使っているパソコンはメメックスの具現化したものの1部なのかもしれない。
「パーソナル・コンピュータ」と言う言葉は1977年にアラン・ケイの論文の中で示された。しかし実際に私たちにとってパソコンが身近なものになったのは、1990年代に入ってからだと思われる。重要なきっかけとなったのは、1992年のマイクロソフト社から発売されたOSであるWindows3.1であった。Windows3.1はマウスとアイコンやメニューによる操作するGUI(Graphical User Interface)のOSであり、それ以前に主流だったMS-DOSがたくさんのコマンドやその文法を憶えなくてはならないCUI(Character User Interface)で操作したMS-DOSとは大きく異なる。GUIをOSに採用したことで視覚的に機能が表示されるようになり、パソコンは多くの人に利用しやすいものになった。
確かにそれ以前からアップル社のマッキントッシュのようにGUIで操作可能なパソコンは存在したが、こちらは広告や編集デザインの世界で使用されることが多く、クリエータのためのパソコンの印象が強い。学校や企業等で実務的に広く使用されていたのは、MS-DOS頃からマイクロソフト社製のOSとAT互換機の組み合わせである。これは1984年にIBM社が「PC AT」を米国において発売し、その仕様が公開されて、他のパソコン・メーカーがPC ATの互換機を作ることを可能としたことに関係すると思われる。AT機の仕様公開は多くの互換機を生み出し、ハードウエアの仕様が共通化されたことで、周辺機器やOSを含むソフトウエアが共通し使えるようになり、ハードウエアやソフトウエアの各メーカーが競うことでAT互換機とその周辺の機器やソフトウエアを購入しやすくしたためであろう。
GUIの採用によって、私たちの能力を拡大し作業をサポートする道具としてのパソコンは、身近において使えるものになりつつあった。以前より多くの人がパソコンを使用してワープロソフトで文章を作成・編集し、表計算ソフトで数値データの加工を行うようになった。また価格の低下によって職場や学校のような組織内だけではなく、家庭にも普及するようになり、メメックスに一歩近づいた。
2.2.情報の作成と共有
パソコンとOS、そしてアプリケーションが操作性を増し機能を向上させるのに応じて、私たちは多くの作業をそれらを使って行うようになった。それまで紙等にペンや鉛筆を使って作成されていた文書も、各種アプリケーションで効率的に電子的なファイルとして作成された。作成された電子文書はキャビネットに整理収納される代わりに、パソコン上のフォルダやディレクトリに納められた。電子文書は物理的に場所をとらないし、情報の追加や修正も容易であって、私たちにとって有効な道具となった。それに一度入力した情報はパソコンが提供してくれる機能で検索することも可能であり、キャビネットや書棚に押し込められたファイルや書籍から探し出すより効率的なことも事実である。
しかし、1人の人間が入力する情報は所詮1人分であって、このような使い方しかできないのであれば知的活動を補助するとは言えないだろう。誰かが作成した文書(拙文も含めて)は、直接の作者・筆者は限定された存在であっても、文書が作成・編集される過程、あるいはそれらが発想または思考される時点で、過去に遡ってそれに関わる多くの情報や文書があることは間違いない。そうであれば、私たちがパソコンを使ってデータや情報を文書化する際にもそれに関わる他のデータや情報が大量にあるはずで、逆に作られた文書は他の誰かによって生み出される文書に関わる可能性を秘めていることになる。つまりデータや情報の文書化は相互に交換したり共有することが目的の1つなのだ。電子化された文書も同様である。
かたやブッシュのメメックスもこれに似ている。メメックスは情報をマイクロフィルムの形で蓄積し、フィルムの未使用部分に新しい情報を追加することも可能だとされている。もちろん、情報が記録されたマイクロフィルムは購入が可能で、それをメメックスに随時追加し知的活動の場を広げていくのである。
メメックスの既製品として情報が記録されたマイクロフィルムは、私たちが使うCD-ROMが類似する。私たちはパソコン・ショップや書店へ行きCD-ROMに記録された国語辞典や英和、和英、それに百科事典を購入し、それをパソコンで再生し利用することが可能である。そして私たちはそれらから新たな情報を引き出して、次の情報を生産する。だが、次々と連鎖反応的に情報が増加するのだとすると、マイクロフィルムやCD-ROMのように物理的な存在であるメディアに記録された情報は、恐ろしい早さで古くなり陳腐化してしまうことになる。マイクロフィルムやCD-ROMでデータや情報を共有することは、それらのメディアにその時点でのスナップショットを記録しているに過ぎず、そこに追加や修正が発生した場合にそれらを反映する方法がないのだ。
2.3.ネットワークによる共有
幸いなことに電子文書は物理的な存在ではなくコンピュータ上に電磁的信号の集合として作成される。データや情報を再利用する可能性も含めれば、それらを交換・共有するには、そのままで行われるのが最も効率的である。FDやCD-ROMに移し替えてしまえば、結局は物として輸送したり手渡したりしない限り、交換も共有も出来ない。物理的な移動は時間がかかって、速いスピードで増えていくデータや情報には対応できない。
コンピュータ・ネットワークの機能がこのような状況を解決する。コンピュータとコンピュータをケーブルで接続し、それぞれが持っている電子化された文書をそのままの形で交換すれば、FDやCD-ROMを運ぶよりはずっと速い。
しかし、Windows3.1まではOSにネットワークの機能が含まれていることは希であった。パソコン以外に目を向ければUNIX系のOSのようにネットワークを標準的に備えているものもあったが、パソコンに比較すれば敷居の高い装置であった。そのためパソコンでネットワークを使った電子化文書の交換・共有するには、ネットワークOSを追加しなければならなかった。それにネットワークOSはLAN環境を構築するものであって、外部の組織などLANの範囲外に対してはネットワーク環境を提供してはくれない。外部との間でこれらの目的を達成するにはネットワークが使えず、結局はFDで渡したり、電子文書をプリンタで印字したものをFAXや郵送する方法を選択するしかなかった。
もっと広い範囲で自由に相互接続を実現するネットワークが求められたのは当然である。
2.4.インターネットの登場
インターネットは、1969年にARPA(Advanced Research Project Agency)が核攻撃にも耐えられる信頼性のあるネットワークを構築しようと、米国内の4大学のホスト・コンピュータを接続したのがその起源とされる。その後多くの大学や研究機関もネットワークを構築するようになって、相互に接続するようになってARPAネットに結ばれるようになった。複数のネットワークが相互に接続されているためにインターネットと呼ばれる。
その後、1980年代半ばからNFS(National Science Foundation)がインターネットの運用・管理を引き継いだ。それからもインターネットは成長を続け、米国内に止まらず米国外ともネットワークが構築され、軍事・学術用に発展したものが次第に商用利用へと繋がるのである。
政治的、軍事的な色彩の強かったARPAネットがインターネットを生み出した。しかし、それが急速に拡大したのは、コンピュータ・ネットワークに興味を持った科学者や技術者、大学や研究機関の関係者、それにそれらには属さないで関心を持った人たちが、このプロジェクトに自主的に参加したからである。基本的に誰かが主体となって全体を見渡し、方向性を示して、強い指導力を発揮したのではなく、インターネット上で使われる多くの技術は共同作業によって生み出され、より使いやすく、より汎用的に練り上げられた。インターネットの歴史や技術を解説した書籍や文書を読めば分かることだが、インターネットに関わった科学者や技術者、プログラマの数は膨大であり、その一部の人が敬意をもって紹介されているに過ぎない。
1990年代に入ってISP(Internet Service Provider)が登場し、大学や研究機関以外も容易にインターネット接続が可能なようにサービスが提供されるようになった。私の記憶ではISPが提供した接続形態は専用線によるものだけで、インターネットへ接続するより先にDNSや電子メール・サーバを構築しなければならず、簡単なものではなかった。加えて、既存のサイトは大学や研究機関のものが殆どで、主に技術情報を収集するか、外部の方と電子メールのやりとりをする程度で使っていた。インターネットはその誕生が研究であったために科学技術研究者中心のネットワークであって、その導入には専門的な知識が求められたので、一般に開放されたからと言って直ぐに受け入れられるものではなかった。
しかし、インターネットは汎用的にネットワーク機器やOSに依存しないでコンピュータ・ネットワークを実現することを目的して研究・開発されそれを実現しており、また世間ではパソコンの普及に伴って、電子化文書の交換・共有のインフラとして利用されるまで長い時間は必要としなかった。
2.5.インターネットの普及
Windows3.1ではネットワーク機能をサポートしていなかったが、後継OSとして発表されたWindows95はネットワーク機能を持ち、ディスクやプリンタの共有程度で在ればネットワークOSを必要としなくなった。また、インターネットの標準プロトコルであるTCP/IPも採用していたためインターネットへの接続も容易になった。また、既存のネットワークOSもLANの壁を越えるためにサーバ機上にインターネットへのゲートウエイ機能を持たせるなどの拡張を行った。 郵政省が発表した平成11年度通信白書[2]によると、日本におけるインターネット人口は平成10年で約1,700万人(15歳から69歳)とされている。その内訳は従業員300人以上の企業では80.0%、従業員5人以上の事業所では19.2%、そして世帯では11.0%の普及率とされている。同省の通信利用動向調査によると情報通信メディアの世帯普及率が10%を達成するまでの所要期間は、電話で76年、ファクシミリが19年、現在では誰でも使っている感のある携帯・自動車電話が15年必要であったに対して、インターネットは5年と極端に短い。 GUIによる操作性の向上や低価格化、アプリケーションの発達によってパソコンが私たちの周囲で多く使われるようになって、多くのデータや情報が電子化されるようになった。電子化された文書を交換・共有する手段が求められていた。それとほぼ同時期にインターネットが一般に公開され、電子化されたデータや文書を共有するための環境としてネットワークとしてインターネットが利用されるようになった。
2.6.WWWシステム
既に見てきたように1990年代前半にインターネットは一般に向けて解放されて、それまで大学や研究機関などの限られた組織やそこに属する人たちしか使用を許されていなかったインターネットが、ISPを経由することで、誰でもが参加可能な場になったのである。その頃一般向けの新聞や雑誌、テレビ番組などでもインターネットが取り上げられるようになって、毎日のようにインターネットの紹介が行われていたことは記憶に新しい。マスメディアに取り上げられだした頃、紙面や画面上に常にMosaicが表示されていた。当時GUIベースのWebブラウザはMosaicしかなく、またイメージとテキストが1つの画面に表示されるし、ハイパーリンクでいろいろなサイトを渡り歩けるのがそれまでインターネットに接する機会のなかった人たちには効果的にアピールすると考えたのだろう。
WebブラウザとWWWシステムはマスメディアに物珍しさから紹介されただけではない。インターネット上でのデータや情報の交換・共有にWebブラウザとWWWシステムが与えた影響は大きい。
孤島のように全く孤立して他と関連性を持たない情報はなく、各情報は他の情報への関連性を様々な方法で表現して伝えていた。WWWシステムではHTMLと言うデータの記述方法とURL(UniformResourceLocator)と言う情報リソースの指定方法を導入することで、情報間の関係性を表現することに成功した。WWWシステムによってインターネット上に点在していた多くの情報リソースは互いに関連づけられ、私たちが情報に対して立体的にアクセス・参照できるようになったのである。
それまで異機種で構成されていたインターネットでは、テキスト・ファイルのようにアプリケーション依存しない形式でドキュメントを提供・共有していたが、WWWシステムによってそれらはHTMLに書き換えられ、情報としての有用性を増した。だがこれだけではWWWシステムが現在のように広く使われることにはならなかっただろう。
HTML形式で記述された文書は情報の内容そのものと表示形式を定義したタグ部分とで構成され、専用のアプリケーションがなくても読むことは可能だが、決して読みやすい文書ではない。必然的にそれを扱うためのアプリケーションが求められる。最初はテキスト・ベースの表示を行うものしかなかったが、NCSAで開発されたWebブラウザ、MosaicはHTML形式のデータを取り込み整形して画面に表示した。表示された画面には文字情報だけではなく、画像までが一緒に示されていた。URLによって他の情報へ関連づけられた部分は色が変わっており、その部分をマウスでクリックすると指定されていた情報を取ってきて、画面を書き直したのである。GUIインターフェイスを採用したMosaicは受け入れられ、広く使われるようになった。
HTMLとURLでリソースが指定され、ブラウザは複数のサイトデータ・ファイルを収集し、それらをまとめて1つの出力される。HTMLに埋め込まれたURLは作成者の思考した道筋を表現していて、情報は情報と結びつき、私たちはより柔軟に情報を取得したり、より効果的に情報を提供できるようになった。ここに至って私たちは私たちの能力を拡大し、サポートする道具を手にしたことになるのであろう。
WebブラウザとWWWシステムはインターネットだけではなく、あらゆる規模のネットワークの基本となって今も電子文書の交換・共有の仕組みとして用いられていることはご承知の通りである。
3.電子文書利用の現状
3.1.環境の個別化・多様化
電子化文書を作成したり参照するために利用されるパソコンは、操作性の向上や安価になってきていることで多くの人に使われるようになり、その出荷台数を延ばしている。情報産業専門調査会社 IDC Japan 株式会社の調査結果によると、パソコンの1999年の通期(1月から12月)での出荷台数は1,083万1,803台で、対前年比では36.7%と大きく拡大している。その中でも家庭向けは490万台で対前年成長率85.4%と大きく成長している[3]。 今日では10万円を切るパーソナル・コンピュータも販売されるようになって、パソコンの出荷台数の全体より家庭向けの出荷台数の成長率の方が大きく、パソコンが職場や学校だけでなく家庭へも浸透しているのがわかる。私たちの能力を拡大し作業をサポートする道具であるパソコンは、文字通り1人1台のパーソナルなコンピュータになりつつある。パソコンはその所有者や利用者が自分にとって使いやすい環境であることが重要になり、そのようにセットアップされる。
現在販売されているパソコンは殆どがOSがバンドルされているおり、コンピュータに関して知識がなくとも、何本化のケーブルを接続するだけで簡単に使える道具となった。その使用目的もかつてはワープロや表計算、あるいはCGの作成など特定のアプリケーションや機能を目的としていたが、現在ではインターネットへのアクセス、つまり電子された情報の交換や共有が主目的であることも少なくないようだ。加えて、インターネットへのアクセス手段はパソコンだけに限定されなくなって来ている。携帯電話やゲーム専用機にもインターネットへの接続機能が付け加えられて、より簡単なアクセスが可能になっている。
パソコンに限らず、インターネットで刻々と変化する情報へのアクセスを目的とする利用者にはブラウザだけがあれば十分で、インターネットでの情報共有に限って言えばパソコンが能力を拡大し作業をサポートする道具ではなく、ブラウザがそれに代わってきている印象すら感じる。
WWWシステムはHTML形式の情報提供ををベースにしており、HTMLはハードウエアやOS、ソフトウエアに依存しないで処理可能である。当初はMosaicしかなかったGUIのブラウザも今ではMosaicは姿を消して、「Netscape Navigater」や「Internet Exproler」に取って代わられている。見かけや周辺の独自に拡張された機能に違いはあるにしても、HTMLやWebサーバとのやりとりについては殆ど変化がない。私たちは自分の好みや、その時々に使用する環境に合わせてブラウザを選択し、使えばよいのである。少なくとも電子化文書の参照系についてはハードウエアやアプリケーションではなく、そこで提供される標準化・共通化された機能がプラットフォームになってきたのかもしれない。
今後もネットワーク上にある電子文書へのアクセス方法やツールが多様化して行くのだとすると、クライアント側にパソコンや特定のアプリケーションを前提とした情報の提供・共有の仕組みは危険なものとなる。既に状況は変わっているが、ほんの1・2年程前までネットスケープ社とマイクロソフト社の間でブラウザのシェア競争をして、互いにブラウザの表現力を上げるために機能の拡張を行っていた。その結果としてHTMLを作成時に、作成者が自分が使っているブラウザで表示して確認したために、他のブラウザやバージョンの異なるブラウザでは作成者の意図に沿った表示が得られないWebページが出現することになってしまった。利用者環境の個別化や多様化は、より厳密に標準や規格を守ることを提供者側に求めるだろう。
3.2.情報量の増加
よく言われていることだが、インターネットが普及したことで大きく変わったのは、そこに流通する情報量の増加である。ここで言う情報とは、電子メールのように情報の発信者によって受信者が限定されるものではなく、特定のサーバ上に電子文書として保存され不特定多数に公開されているものを指している。
インターネットによる情報の提供・公開は容易に独自ドメインを立ち上げられる企業や組織より、小規模な企業や組織、個人にとってより大きな影響があったと思われる。インターネットをそれ以前からあるマスメディアと同じに考えるわけにはいかないが、既存マスメディアでは不可能であった情報の提供・公開が可能になったのである。
インターネットには様々なアクセス手段が登場してきているが、それらに共通して扱えるのはWWWシステムでのHTMLファイル表示である。情報やデータを電子化するのに書式としてHTMLを採用すれば、インターネットを利用する全ての人にそれを見てもらえる可能性があって、HTMLファイルは特別なソフトウエアを必要とせずエディタだけでも作成が可能で、それまで限られたマスメディアしか持たなかった情報発信を個人レベルで行えることを意味している。加えてインターネットでは地理的な制約からも解放され、自分の存在を世界に向けてアピールできる機会が与えられて、各々が思うところを思うがままに他へ向けて発信できるようになった。
専用線によるインターネット接続はISPと利用者の間が電話網で結ばれるだけでは不十分で、利用者側はドメイン名を取得したりDNSや電子メールのサーバを立ち上げることが要求される。そのため資金や人材に余裕のある規模の大きい企業ではインターネットの導入は容易であったが、それ以外では難しいこともあったようである。そのためにISPはサーバ機能のレンタル等を開始し、独自にサイトを立ち上げなくてもインターネットでの情報発信を可能にした。後にはサーバ機能のレンタルは、WWWシステムで情報を提供・公開するためのファイルを格納するディスク・スペースの提供へと変化し、更には広告バナーが自動的に添付されて無料で利用可能なサービスまでが現れた。
結果としてインターネット上にはプロ野球の試合経過や株価の市況情報、技術情報等々の雑多な情報の集まる場所となった。かつては海外で起きた出来事などは、海外の通信社が発したものを国内のマスメディアを経由して受け取るしかなく、情報がリレーされる過程で省略されたり変形してしまったり、多くの視聴者や読者を対象とするために必ずしも全てが報道されるわけではなかった。そしてリレーされて伝わる情報であって、余程の重大なものを除けば、私たちの元に届けられるまでには時間差が生じるのは否めない。また、マスメディアで報道されるタイミングでそれらを受け取らないと、後で入手するのも困難であった。インターネットではより当事者に近いところからの情報収集を可能にし、速報性が増すとともに過去分の情報へのアクセスもできる。情報の提供や共有について、個々人の都合が反映されるようになっているのである。
反面、インターネット上に蓄積される情報は提供者の都合で整理され、同時に増加し続け、私たちが本当に必要な情報を探し出すことが困難になってしまったのも事実である。1994年にはスタンフォード大学の大学院生が、インターネット上に散乱する情報を収集、分類して、電話帳から目的の電話番号を見つけだすように、インターネット上の情報を探し出せるサービスとして「Yahoo!」を始めた。以後Yahoo!のように情報を分類・整理して提供するサイトだけではなく、利用者にキーワードの入力を求め検索エンジンで膨大な情報の中から適切と思われる結果を出力する検索サービスも多くならざるをえなかった。
情報が増加し検索サービスを使って目的の情報を得ようとすると、HTMLの書式が問題になる。HTMLで使用されるタグの殆どは表示形式を指示するためのものであって、情報の内容や構造を表すものではない。検索キーワードを幾つか巧く組み合わせて入力できれば、不要な結果が混じることはいくらか回避できるが、全文を対象にした検索である以上は、満足のいく結果が得られるとは思えない。HTMLを完全に捨て去ることは難しいだろうが、文書の構造を反映したデータによる情報の提供や検索サービスの提供が必要になる。
3.3.サーバ機能の拡張
インターネットは、学校や研究機関そして企業などの組織が構築するネットワークが相互に接続するか、ISPによって中継されることでインターネットは構成されていた。インターネットは世界中の人々が使用するネットワーク空間であるが、各組織が構築するLAN等のネットワークは組織にとって私的な環境である。つまり、インターネットの標準プロトコルはTCP/IPであるが、私的なネットワークないでは必ずしもそれをプロトコルとして採用する必要はなく、それぞれのネットワークのポリシーや方針によって決定してかまわない。自分たちのネットワークから外へ出るときにTCP/IPを使用すればよく、私的ネットワークとインターネットの接続点に、内部プロトコルからTCP/IPへ、またTCP/IPから内部プロトコルへプロトコル変換してくれるゲートウエイ機能を持てば実現できる。同時に上流サイトやISPからDNSサーバや電子メール・サーバの立ち上げが求められるだろうが、それらについても同様であり、求められる機能をインターネット側に提供しさえすればよい。
必要とされるサーバを立ち上げ、インターネットからの要求に応えられれば、それを実現しているハードウエアやOS、ソフトウエアは自由であるし、他に多くの情報提供のためのサーバを立ち上げても、または全く立ち上げなくとも干渉されることはない。
だが、インターネットで積極的に情報を電子化して提供しようすれば、そのように自由ではいられない。利用者はWWWシステムによるHTML形式の情報提供・共有を当然としており、逆に言えば電子化してデータや情報を提供するにはWWWシステムでHTMLファイルを公開すれば目的を達成できるのである。事実としてインターネット上には約1,400万以上のWWWサーバを立ち上げているサイトがあって、それらはHTML形式のデータを提供している[4]。
その1,400万を越えるサイトの中で、WWWサーバとHTML形式ファイルだけで情報を提供しているサイトはいくつあるだろうか。そのようなサイトは減っていると思われる。WWWシステムが紹介され始めた頃からWWWサーバには固定的な情報を送り返すのではなく、動的に情報を編集したり、クライアント側からの入力を受けるたりするための拡張機能としてCGI(Common Gateway Interface)があった。CGI機能があったためにWWWサーバはHTTPで送られたデータを他のサービスを提供するサーバに転送するゲートウエイ機能を持つことも可能であった。CGIによるWWWサーバの拡張はバックエンドのシステムとの連携も可能にし、サーバが一方的に情報を送りつけるだけでなく、クライアントとの双方向的な情報交換機能に利用されている。
最近では電子商取引などもWWWサーバを用いて実装される。その際、利用者に対するレスポンスをよくするためにCGIを使用せずに、WWWサーバにモジュールを組み込んで、バックエンドに常駐するアプリケーション・サーバと通信させて、主要な処理をアプリケーション・サーバ側に行わせることも珍しくなくなった。WWWサーバはクライアントとの窓口としてだけ機能して殆どの機能はバックエンドが処理する構造は、WWWシステムが電子文書を扱う上で重要な機能であるだけでなく、インターネットの数あるサーバ機能の中でも今後も機能が拡張されるなどにより進化し続ける可能性を示している。
但し、WWWシステムが拡張され進化し得るのは、WWWサーバと連動して動作するクライアントであるブラウザとの通信がHTTPで実現されているて、拡張対象になっているのがバックエンド側であるからだ。セッションを維持できないなど特に商用利用などには不満足な点も目立つプロトコルであるが、標準化されたプロトコルであり、利用者数があまりにも膨大で簡単に変更を加えることは出来ないだろうが。
4.電子文書を扱う環境の今後
電子文書を扱う環境はパソコンやインターネットの普及によって私たちが日常で使えるようになった。ここ20年程度の期間で実現されたことであるが、そこで展開したことの殆どは、技術や方法の標準化である。
電子文書が流通を支えるインターネットは、複数のネットワークが結びつけられて成り立っているネットワークであり、構成要素である各ネットワークがどのようなハードウエアを採用しているか、どのようなOSを採用しているか等は、インターネットに対して何ら影響を与えはしない。インターネット上の誰かが各ネットワークを監視することもなく、各ネットワークは各々によって望むままに管理運用すればよいのである。
しかし私たちはインターネットに接続する時点で、暗黙のうちにネットワーク・プロトコルとしてインターネットの標準プロトコルであるTCP/IPを受け入れていることになる。そしてTCP/IP上で使っているアプリケーション層のプロトコルについても同様であり、RFC(RequestForComments)で標準化・規格化されなければならない。各ネットワークがそれを管理・運用する組織の都合で構築されているのであるから、それらを結んだインターネットは機器やコンピュータによって左右されない汎用的な技術が採用されなくてはならない。
インターネットで使われる技術は、汎用的であると同時にその技術に関する情報は無制限に公開されなければならず、特定の企業や組織が独占的に権利を持っている技術は例え優れていてもインターネットでは使用できない。これは、私たちがインターネットを使う上でも、またインターネット上で使用するクライアントやサーバのソフトウエアを開発しようとRFCの該当文書を参照する場合でも、準拠しなくてはならないし、利用者全体がそうすることで安心して利用できる。
一方、インターネットが標準化・規格化された技術で成り立つように、そこで流通する電子化文書もその書式・データ形式の標準化・規格化が重要である。インターネットを使わない限定された環境での公開・共有であれば関係ないが、インターネットを使って公開・共有をするのであれば、異なる利用者環境は当然のことであり、利用者環境を特定するような書式・データ形式で作成された電子化文書は喜ばれないし、受け入れられない。
今後は電子商取引なども増えることが予想され、現在多く行われている消費者向けのものだけでなく、企業間での利用されようになるだろう。企業間の電子商取引が普通のことになったとき、インターネットの上には今よりも多くの電子文書が飛び交うことになる。もちろんそのときには人とコンピュータだけはなく、コンピュータとコンピュータによる情報の交換・共有が増えることになるだろう。そしてそこで扱われるデータはより厳密な標準化が求められることは間違いない。
現在私たちが使っている標準化された技術や考え方は、その殆どがインターネット文化の中で標準化された、あるいはいつの間にか標準になっていたものばかりである。嘗ての技術者や研究者たちだけ構成されていたインターネットはすでになく、本来なら背景にある企業の看板ははずして参加するべき標準化団体に、企業戦略的な意味も込めて関連する企業からメンバーとして協議に加わるようになっている。これから策定される多くの技術や方法がこのような状況で歪められて、本来果たすべき機能が果たせなくなることが最も危惧される。
5.まとめ
文明を農耕社会、産業社会、そして第三の波としての情報社会をアルビン・トフラーは『第三の波』[5]の中で、文明論的・社会科学的に現代と将来の予測を提示した。『第三の波』は1980年に出版されたもので、その時点での近未来予測となっている。
トフラーによると産業革命以降の産業社会は、大量生産、大量消費を目指すものであって、産業社会以前の農耕社会では一体であった「生産者」と「消費者」が分離されたとしている。工場生産の効率化を高めるために規格化が進められて、規格は人間に合わせるのではなく、人間が規格に合わせなくてはならない社会になった。
自分や家族を含む小さなコミュニティのために無給で仕事を行う「Aセクター」と、商品やサービスの生産を市場を通して交換する「Bセクター」の2つに経済を分類している。農耕社会では殆どAセクターのみの経済であり、大量生産、大量消費を目的とした産業社会ではBセクターの経済が巨大化してAセクターの経済を押さえつけた。その結果、人は生産から遠ざけられて消費者になり、市場が支配する。
産業社会では「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」の6つの原則が人間を縛り付けるようになった。これらは本来工場における大量生産の効率化のために生まれたものであったが、普遍的な道徳のように産業社会に広まり、人々の行動様式や世界観を縛り付けるようになったと説明されている。
トフラーの予測した第三の波である情報社会では、メディアや産業などが全て非マス化し、非画一化と多様化が進んで少量生産が可能になり、コンピュータ技術の進歩によって自分で自分のための生産が出来るようになって、「生産消費者」が復活するとしている。生産消費者の社会は産業社会とは大きく異なって、人は規格に合わせる必要がなくなり、多様な価値観や生活形態を持つことが可能になる。それは産業社会の6つの原則が覆され、「脱規格化」「アマチュア化」「非画一化」「分散化」「極小化」「分権化」といった原則に社会が支配されると言っている。
『第三の波』の示した未来を支える重要な要素にコンピュータ技術と通信技術の発展がある。『第三の波』が出版されて20年が過ぎた現在、トフラーの示したユートピアが現実のものとなっているとは思えないが、トフラーの示したものに近づいている。
私たちはインターネットを使うようになって産業社会の6原則のうち「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」の5つが、「アマチュア化」「非画一化」「分散化」「極小化」「分権化」に変わるのを目の当たりに出来た。しかし残る1つ「規格化」だけはより鮮明になったと思える。これはつい最近までインターネットが「Aセクター」中心の農耕社会であったのが「Bセクター」中心の産業社会に移行したからなのか、トフラーの分析と予測が誤っていたためなのか。私としては後者であることを祈るばかりである。
参考文献
- [1]:
- 「われわれが思考するがごとく(As We May Think)」『思想としてのパソコン』 西垣 通 編著訳 NTT出版 1997年
- [2]:
- http://www.mpt.go.jp/policyreports/japanese/papers/99wp/99wp-1-index.html
- [3]:
- http://www.idcjapan.co.jp/Press/Current/071399Apr.html
- [4]:
- http://www.netcraft.com/Survey/
- [5]:
- アルヴィン・トフラー『第三の波』徳岡孝夫監訳 中公文庫 1982年